住職の提言
目次  お寺からの一言
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昨今の仏教界において、宗教離れ、檀家制度の崩壊、法要・葬儀の変化など深刻な問題が起きつつあることに憂慮している。若い世代は都会へ出て行き、しかもそこには仏壇がないため仏事に関わることが少なくなる。仏事は費用が発生し、なるべく避けようとしている。金銭的な問題や家族の多様化などにより葬儀や法事を簡素化(省略)する傾向が一段と強まっている。長期入院や介護施設の高額化で家族の負担も大変になり、亡くなっても悲しみが薄らいでしまう。家族の死ではなく、第三者の死になって、葬儀も薄葬になっている。葬儀は直葬もしくは家族葬、散骨、樹木葬等が増えている。墓は永代供養墓や合祀墓に向かわざるをえない。葬儀をしなくてもよい、菩提寺との付き合いは面倒くさいと考える人が増え、檀家制度も先細りになってくるのは必定です。檀家制を維持するその地に代々住み続ける家族が少数派になっている。檀家であっても家墓を継承することを無視する人々が増えている。檀家である以上、年間の護持(管理)費は収めるべきである。
最近「墓じまい」が増えている。少子高齢化で死亡者数が増える反面、墓を継承する人は減り続ける。子孫が墓を継ぐという前提は破綻しつつあり、無縁墓を増やさないために、「墓じまい」を選択する。寺と檀徒、住持する僧と檀徒との自然な信頼関係、お互いに思いやる関係こそが寺檀制度となり今日に至っ ているものなのだと思います。この寺檀制度、檀家制度は江戸時代の初め、徳川幕府はキリスト教徒を根絶するために作り、法で縛られたものであったが、明治に入り、制度はなくなり、法的拘束力はなくなりました。その結果、仏教の教えや寺が嫌なら、いつ離檀しても差し支えない。宗旨を変え、寺を離れることが自由になったのです。また例え檀那寺があったとしても仏教徒としての意識(良識)も希薄で、仏教ばかりか宗教に価値を見出し得ない人々も多い世の中です。今一度、檀那(菩提)寺を持つ人も持たない人も、生きるとは如何なることか、如何に死を迎えるべきか、お寺とは何か、ということを改めて自らに問い直して欲しいと思います。
法事をして読経だけで済ますというのは、やはり批判を受けるにあまりあると言えよう。法事とは、本来的には、清貧なる修行生活の中にある出家者に対して、修行のために必要な食事や袈裟、日用品を施し、彼らの生活する場である寺院を維持発展させるために布施をする。そうした功徳をもって精霊や先祖へその功徳を廻らすことが法事であり、法要であった。法事は、故人が私たちに残してくれた、置き手紙ではないかと思えます。日頃仏教に縁の無かった親族たちにも、仏道に精進させ、善行功徳ある行いをさせることで、功徳を積ませ、自分亡き後も、残していくものたちにしっかりと健やかに過ごしてもらう。そのことによって、家族、親族が結束して、執り行うことの大切さを知らせ、縁ある者たちが力を合わせて助け合い、皆が心通わせていく、それによって、一人一人も自然と心癒やされていく機会となるものとして、仏事、法事はあったのではないかと思うのです。それは正に日本人の代々受け継いできた大事な営みであり、そうして縁ある者たちを守ってきたのであり、日本人の叡智であるとも言えるのではないかと思えるのです。
先祖祭祀と檀家制は現代の日本仏教において根幹をなす制度だが、原始仏教教団や世界各地に拡大した現代の仏教においてもそうかといえば、やはり日本の宗教民俗や近世の寺檀制度と近代の寺院仏教の興隆によって作り上げられた独特な制度とみるべきだろう。

昨今は葬儀にしろ法事にしろ、インターネットのサイトを参考に菩提寺に対する布施(金額)を確認し、檀徒としての常識からかけ離れた布施をする。まさしくお経読み派遣僧扱いである。檀徒は菩提寺を維持発展させるために良識ある布施するべきだと思っている。